日記

memento mori

クリス・ボッシュの記事を訳してみた

とてもいい記事だったので、和訳してみた。

尊敬するバスケ選手がギークだったなんて、、、

テンションあがる。

 

なぜプログラミングを学ぶべきか

プログラミングを学んでいるみなさん(ホームレスや子どもたち含め)にこんなことを聞くのは馬鹿げているかもしれないことはわかっている。「システム」の中に定着させる必要のある意義深いものもある。

しかし、プログラミング学習の価値を無視すべきだとは思わない。

1990年代幼少期にハイテクに精通した両親に育てられ、私の周りの世界が1と0の異なる組み合わせによって構成された軸で回っていることに気付き始めた。これらのパターンのデザインとコーディングを習得することの凄さを無視することは愚かだ。野性的な体力が評価された時代の次の自動化の時代では、私たちが向上できる唯一の手段だ。未来のほとんどの仕事においては、プログラミングができる人が評価されるだろう。

携帯電話、web、ショッピングなどあらゆる場面で私たちはプログラミングを使う。 そして、この多大な恩恵の本質を理解することで私たちは快適さを得られる。

ほとんどのアスリートにとって、キャリアを作る競技は学校で決まってくる。私は高校だった。すべてがそこで起こった。あなたがある時期までどんどん成長し、スポーツにおいて一流になった時、周りの大人たちに「異なる分野にトライして、好きか嫌いか模索し、計画を練る必要がある」と言われる。その年齢にはかなりのプレッシャーだ。

NBAに入る前に通っていたリンカーン高校の体育館に私のジャージが飾られているにもかかわらず、将来に安心を感じるために、この1と0を扱えるようになる必要があった。幸運にも、ガジェットをコンスタントにいじったり、高度なAutoCADスキルを持つ、かなりギークな両親がいたことが、バスケットボールをいじったり相手のシュートをブロックしていない時の私の手をキーボードに向かわせ、プログラミングを学ぶことにつながった。

すぐに思い出せるのが、母がComputer Helpという仕事をしていたこと。これもあって、私はコンピューターについてかなり習熟した。その後、母はTexas Instrumentsで働いた。放課後家に帰り、母が新しいTIガジェットを持ち帰ってきて試しに使ってみたりして遊ぶのが習慣だった。一番最初のデジカメを未だに覚えている。みんながまだAutoCADを使っていた時、父は2つの会社で専門的な配管工事、エンジニアリング、デザインを仕事にしていた。

両親がとても高度な教養を与えてくれたことは幸運だった。高校時代、私はWizkidsというコンピューターグラフィックのクラブに2年間入った。その一員であることを常に感じていた。最終学年時には、the Association of Minority EngineersとNSBE (the National Society of Black Engineers)に参加していた。

私は高校は卒業したが、大学は卒業しなかった。ジョージア工科大に1年間在籍したが、科学への強い興味と教育への情熱は今もまだ持ち続けている。それを最後のよりどころとしている。プロアスリートはある地点で自問しなければならない。「ワークアウトできなくなったらどうするか」と。私の場合は子どもたちにコンピューターサイエンスとプログラミングを教えたい。若ければ若いほどベターだ。

プログラミングに関して面白いことは、高校でグラフィックデザインとコンピューターを知るまでコーディングとは何かを全く知らなかったことだ。コーディングはすべてのテクノロジーの根幹である。もし誰かが私にコーディングは直接的、間接的に数百万人と関わることができ、人生をより良くできることを教えてくれていたら、すぐさま私の好奇心はスパークしていたことだろう。みんながコーディングが世界に与えるインパクトを数年前に理解できたとは思えないし。

おもしろいバスケットボールの試合のように、私たちはまだ挽回できる。

人生における今の主な興味はバスケットボールだが、それでも私は学び、模索し続けている。将来性のあるアプリケーションは魅力的で、めちゃくちゃシンプルだから、私は子どもたちにプログラミングを教えたい。あなたはこう言うかもしれない。「けど、それはあなたのキャリアに使わないでしょ」と。しかし、私は行動で示す。コート上でもコート外でも、多くの人生の教訓を学んだんだ。

ここで重要なのは、コードを学ぶということは、単純に世界の構成要素を理解することなんだ。そして、それはcoolだ。私はバスケットボーにおいて抜きん出ていたが、何回もプログラミング仲間にcoolになるまでやり直しさせられた。ほとんどの人は7フィートの男を指名しようとは考えないけど、私にhard timeを与えてくれる仲間たちがいた。ギークにおいて、自信をくれた競技を持っていたことは幸運だった。バスケットボールが得意だったから、自分自身のドラムを鳴らし行進できたし、他の人が考えていることを払いのけることができた。

今までゲーム、音楽、広告などあらゆる動画を見てきたけど、Code.orgの動画が人生において最もcoolだ。ファンはツイートし始め、学校の先生が世界で最も有名なtech系の偉人たちと共に映っている動画を生徒に見せ、私のところに集まり、クリアなものがひとつ出来上がる。ダサ男がリベンジを果たすように。

私はチームジャージの背中に1がついているマイアミヒートのプレイヤーだ。私にとって勝利(winning)はwinningではない。「01110111 01101001 01101110 01101110 01101001 01101110 01100111」 (that’s W-I-N-N-I-N-G in binary code)こうだ。

Editor: Sonal Chokshi @smc90

 

修正点等あればどうぞ。